車椅子のレビュー

そんなある日、Nばあさんが突然体調をくずし、寝込んで入院した。 しばらくすると、フトンを頭からかぶり、食事も点滴も拒否するようになったらしく、ストレッチャーに乗ったまま苑に戻って来た。
やはり頭から毛布をかぶっていた。 声をかけてもゆすっても、丸くなって頭をかかえ、両手は毛布をしっかり握っていた(頑固な人はこれだから困る)。
みんなで困っていた時、奇跡は起きた。 いつもは温和な寮母主任とその手下が、ガパーツとフトンをはぎ、サッと車イスに乗せた。
みんな目を見張った。 ぼくたち職員への言葉でもあった。
苑の中心にある仏間に移され、ろうそくと線香が焚かれた。 苑内に線香の香りが漂った。
その日もまたNばあさんの隣で眠った。 あの七夕の日を思い出して、いつものように2人でお酒もちょっと呑んだ。

翌朝、次々とお年寄りが集まり、線香をあげ手を合わせていた。 ばあさんといつもケンカをしていたおばあさんが、無言で何度も水を替えてくれていた。
化粧をして、お釈迦様の前で眠っている顔が微笑んでいた。 身寄りのないNばあさんは、そこに2泊した後、苑長と職員に見守られて白い煙となって昇って行った。
みんなの気持ちに悔いはなく、晴々としていた。 じいちゃんおばあちゃんが亡くなった時、「あんなことをしたかったとか、あの時、ああしてあげれば良かった」と悔いの残らないようにしようと,思った。
残りの人生の今この時に、ひとつでも多くの笑顔を引き出してあげることがぼくらの仕事なのだと思うし、一緒に笑えるからこそ、この仕事を続けて行けるのだと思うoまた、そうするにはおじいちゃんおばあちゃん以上に、ぼくら自身が楽しまなくてはならないと思う。 だからぼくは、一緒に笑えることがしたくて、自分のやりたいことにおじいちゃんおばあちゃんを巻き込んで、楽しんでいる。
この前はデイサーピスのおばあちゃんと「NHKのど自慢」に挑戦した。 実は今回、自分自身のリベンジだった。
上手下手はともかく、歌が好きで一度握ったマイクは離さないタイプだ。 カラオケボックスに通い、夜になるとスナックにデビューする。
行き始めて何度目かに、ママから「市民歌謡祭」に出てみないかと勧められ、2人で出ることになってしまった。 歌は彼女のオハコで館の大舞台に立った。
2人とも緊張していたが、苑からも大勢かけつけてくれて心強かった。 参加が決まってから、日を追うごとに苑全体が盛り上がり、みんなで横断幕まで千下ってくれた。
担当の寮母さんとOさんは抱き合って泣いていた。 次の目的がそこで決まった。

のど自慢の最高峰、日曜午後の「NHKのど自慢」への出場だ。 その場のノリとはいえ、言ってしまった以上やらなくては。
まる。 抽選された250組が予選を行うのである。
そのうち20組だけが本選へ出場できるのだ。 かなり難しいが、まずは124番「旅姿三人男」で予選会に参加できた。
本番と同じステージセット、パックバンドの生演奏、テレピカメラも回っていた。 何百人という観客と予選参加者、宮川アナウンサーが舞台下で見ている。
人という字を書いて何回飲んだかわからない。 ぼくより緊張していたのは事務長で(なぜか参加していた)、3人のうち車イスに乗った。
宮川アナウンサーがぼくたちに、i「さん、がんばりましたね。 すごい応援だ、ったね、お友達ですか?」と話かけてくれた。
会場も盛り上がったし、宮川さんに話しかけられると合格するらしいという噂もあったので、かなり期待したが予選落ちだった。 残念だったけどすごく楽しかった。
宮川アナウンサーは「のど自慢ワールド」と言っている。 ぼくらもまた笑顔で再挑戦を誓い合ったが、その数日後、張り詰めていた糸が切れるように、「がんばれ、がんばれ」が負担になっていたのかもしれない。
ぼくは彼女を利用してしまったのだろうか。 誰かの言う「自己満足」の4文字が浮かび、落ち込んでしまった。

いつかまた必ず挑戦しようと決めた。 楽しかったし、笑顔はあったけど、自分自身が納得できなかったから。
それから2年が過ぎた昨年の夏、「NHKのど自慢」が地元で開催されることを知った。 リベンジにはやはり「ノー」。
なんとなく予想はしていたが少し残念だった。 一緒に歌ってくれる人がいない。
ハガキの締め切りの3日前に遊びリテーションの罰ゲームで口説いたのがSさんで、歌が大好きな88歳だ。 彼女は「米寿の記念に」と喜んでOKしてくれたが、ハガキの抽選で落ちては話にならないので3枚を速達で出し、なんとか「予選会出場」を手に入れた。
歌はもちろん『二人は若い』しかないと決めていた。 その日のうちに衣装を2人で買いに行った。

2時聞かけてTシャツとベスト、帽子の3点セットのベアルックに決定。 衣装を早く買ったのにはいくつか理由があった。
ひとつは、本人に目的意識を持ってもらうためだった。 いまひとつは、家族の説得のためであった。
準備万端そろい、あとは家族のお許しがいただければ前に進めた。 Tさんに似て秋田美人のお孫さんと、ひ孫たちも大喜びで迎えてくれ、まだ練習もしてないのに衣装に着替えて歌わされてしまった。
「こんな温かい家族だったんだ」と思った。 実は、家族とはほとんど顔を合わせることがなく、どこか「どうぞご勝手に」というように思えて戸惑いを感じたこともあった。
こういう家族がけっこう多いが、家族関係が薄いからだろうと思っていた。 それは、時間刻みで送迎を繰り返し、ぼくたちとお世話されている方の問で、必要以上のコミュニケーションはとらないような関係にこそ問題があるのだと思えた。
この日を境に、ぼくたちとの信頼関係が少しずつできてきて、家族が変わっていった。 センターのお年寄りの前で歌うことにして、月2回のデイサービスの回数を週1回に増やし、練習を重ねていった。
家族は、歌の練習という目的を持って通う彼女を見て「おばあちゃん、急に元気になってハー、がんばってね」と笑顔で見送ってくれるようになった。 おばあちゃんの存在が家族のなかで大きくなるに連れ、彼女も大きく変身して生きいきしてきた。
予選会では拍手と声援、笑いのなか、ひとり約40秒の持ち時間でリーしており、お年寄りが出てくると妙に気になった。 Tさんもデイサービスセンターの職員たちを引き連れ、意気軒昂だ、った。

いよいよTさんとぼくの番がきた。 140センチと180センチがベアルックで手をつなぎ、マイクを握った。
掛け声に手を振るぼくの笑顔は緊張のあまり引きつっていたが、元気良く1184番!」。 続いてTさん、「二人は若いー」と言った瞬間、拍手と歓声が巻き起り、手拍子と演奏が始まった。
緊張しながらも楽しく歌って舞台をおりたぼくたちを、宮川アナウンサーがニコニコ呼び止めた。 「米寿の記念に?元気ですね、昔から歌が大好きで?」と彼女に聞いた。
「そうです。 昔から歌が大好きで、本当は歌手になりたかったけれど、畑仕事も忙しいし弟妹の面倒も見ないといけなかった。
田舎者だから気が小さくて、東京に行きたいと言えないでしまったのだ」とTさん。 予選開始から8時間、本選出場20組発表が始まった。
歌った時より緊張していた。 会場のあちこちで歓声とため息が聞こえる。
みんなで抱き合っていた。 看護士資格試験の合格なんて問題にならないほど嬉しかった。

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